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東京地方裁判所 平成3年(タ)610号 判決

原告(反訴被告、以下「原告」という)

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

加藤次郎

被告(反訴原告、以下「被告」という)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

吉田和夫

中島淮

真貝暁

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円を支払え。

三  原告のその余の請求及び被告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一原告

1  主文第一項と同旨

2  被告は、原告に対し、金一億六〇〇〇万円を支払え。

二被告

1  主文第一項と同旨

2  原告は、被告に対し、金一〇〇〇万円を支払え。

第二事案の概要

一原告(昭和一八年八月一二日生)と被告(昭和一二年九月二一日生)は、知人の紹介で知り合い、昭和四一年一一月二二日に婚姻の届出をした夫婦であり、両者の間には、長女、二女、長男の三人の子がある。

二原告は、平成二年一〇月、被告を相手方として東京家庭裁判所に離婚調停の申立をしたが(同裁判所平成二年家イ第五五五六号事件)、結局、平成三年五月二二日、不調に終わり、同年六月一二日、原告は離婚、慰謝料及び財産分与を求めて本訴を提起し、また、同年一〇月三〇日、被告は離婚及び慰謝料を求めて反訴を提起するに至った。

(以上の事実は、証拠〔〈書証番号略〉、原、被告本人〕並びに弁論の全趣旨により認められる。)

三原告の主張

原告は、離婚原因として、被告は、①昭和六〇年夏ころから外泊を重ね、昭和六一年八月ころから現在まで全く帰宅することなく、②昭和六〇年ころから乙山好子(以下「乙山」という)と不貞関係を持ち、③昭和六三年四月ころからは生活費を月一〇万円しか渡さなくなり(それ以前は月二五万円を渡していた)、④昭和六二、三年ころには、些細なことで被告から怪我をするほどの暴力を振るわれ(二回)、⑤夫婦で協働して購入した土地に原告に無断で担保を設定し(昭和六一年一二月一〇日)、それを増額し(昭和六二年九月三〇日)、無断で売却し(昭和六三年一〇月二四日)、以上①ないし⑤のとおり原、被告の夫婦関係は形骸化して破綻していることを主張し、離婚及び慰謝料として金一〇〇〇万円、財産分与として、被告所有名義財産から被告名義の消極財産を差し引いた純資産額三億円の二分の一である金一億五〇〇〇万円の支払を求めた。

四被告の主張

被告は、原、被告の夫婦関係の破綻の原因は、原告は、①昭和五六年四月ころから保険外交員として家庭を犠牲にして猛烈に働き、昭和六一年八月ころには自宅でブティックを開店して女性としてはかなりの高収入を得たのにもかかわらず、婚姻費用を全く負担せず、昭和六一年春には突然「離婚したい」といい出して夫婦生活を拒否するようになる等家庭を全く省みない身勝手な性格と、②昭和六〇年ころから丙川次郎(以下「丙川」という)と不貞関係を持ったこと、以上の二点にあり、これによって原、被告の夫婦関係ばかりでなく家族関係も完全に破綻していると主張し、離婚及び慰謝料として金一〇〇〇万円の支払を求めた。

第三証拠〈省略〉

第四当裁判所の判断

一離婚請求について

本件において、原告と被告は、ともに婚姻関係の破綻を主張し、それぞれが本訴、反訴を提起して相手方との離婚を求め、離婚の点において原、被告双方の意思は一致し、今後円満な婚姻生活の継続が望めないことが極めて明らかであるから、夫婦関係の具体的な内容に立ち入って審理するまでもなく、原、被告間に婚姻を継続し難い重大な事由があるものと認め、その離婚請求を本訴、反訴とも認容することができると解するのが相当である。

二慰謝料請求について

1 証拠(〈書証番号略〉、原、被告各本人)並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。すなわち、被告は、昭和六一年ころから、しばしば被告の経営する甲野機械産業(後記三の2記載のとおり現在の株式会社コウノ)の作業所兼従業員宿舎である東京都足立区〈番地略〉所在マンション××号室(以下「マンション××号室」という)に泊まって帰宅しないこともあり、原告や子供たちと接触することが少なくなったこと、また、夫婦で協働して購入した別紙物件目録(三)記載の土地(以下「川口の土地」という)に昭和六一年一二月一〇日、原告に無断で極度額一〇〇〇万円の根抵当権を設定し、昭和六二年九月三〇日、原告に無断で右極度額を三〇〇〇万円に増額し、昭和六三年一〇月二四日には、原告に無断で別紙物件目録(四)記載の土地(以下「越谷の土地」という)を売却したこと、他方、原告は昭和五六年四月ころから昭和六二年三月に退職するまで日本生命保険相互会社(以下「日本生命」という)の保険外交員として猛烈に働いて相当の成績をあげ、昭和六一年八月ころには自宅(別紙物件目録(二)記載の建物〔以下「本件建物」という〕)でブティック(以下「原告店舗」という)を開店して女性としてはかなりの高収入を得たが、昭和六一年春には突然「離婚したい」といい出して夫婦生活を拒否するようになり、前記のとおり被告が帰宅しないことも重なってそのころから原、被告間相互に信頼関係を失ってその婚姻生活は円滑を欠くようになり、それが家庭生活にも影響して、結局、二女は登校拒否の末高校を中退する等家庭も円満な状況ではなくなったこと、原、被告には右状況を打破すべき相応の努力をした形跡が窺われないこと、以上の事実が認められる。

2  ところで、原告は、「被告は、昭和六〇年ころから現在に至るまでマンション××号室に同宿したりするなどして乙山と不貞関係を持っている」旨主張し、原告は、その本人尋問において、右主張に副うかの如き供述をし、〈書証番号略〉(原告の陳述書)にも同様の供述記載があるけれども、これを裏付ける証拠はなく、右原告の供述等に反する被告本人尋問の結果に照らしても、右原告の供述等を直ちに採用することはできず、他に右被告の不貞の事実を認めるに足りる的確な証拠がないといわざるを得ない。

もっとも、証拠(〈書証番号略〉、原告本人)によれば、東京都足立区〈番地略〉所在のハイツ(以下「ハイツ」という)は被告の友人である株式会社ジュコーの代表取締役である小高俊彦(株式会社コウノの取締役でもある、以下「小高」という)が社用で賃借している部屋で常時人の出入りがある部屋ではないこと、被告は、ハイツの鍵を所持しており、いつでも自由に出入りできること、平成四年四月一四日午前一時過ぎころ、被告は乙山を伴ってハイツを訪れ、そこで二人だけで会ったこと、室内には布団も敷いてある状態であったこと、以上の事実が認められる。右事実並びに弁論の全趣旨によれば、平成四年当時、被告と乙山は、極めて親密な交際をしていたことが明らかである。

しかしながら、右平成四年当時の被告と乙山の極めて親密な交際事実から、直ちに「被告は昭和六〇年ころから乙山好子と不貞関係を持っている」との原告主張事実を推認することは困難といわざるを得ない。また、既に説示したとおり、右平成四年当時は本訴も反訴も提起後の時期であって、原、被告の婚姻関係は最早完全に破綻した段階のことであるから、右被告の行為は本件裁判中の行為としては甚だ軽率であり道義的には批判されることではあったとしても、このことが直ちに慰謝料請求に結びつくことはないといわざるを得ない。

3  また、被告は、逆に「原告は、昭和六〇年ころから丙川と不貞関係を持った」旨主張し、被告は、その本人尋問において、右主張に副うかの如き供述をし、〈書証番号略〉(被告の陳述書)及び〈書証番号略〉(小高の陳述書)にも同様の供述記載があるけれども、これを裏付ける客観的証拠はなく、右被告の供述等に反する原告本人尋問の結果に照らしても、右被告の供述等を直ちに採用することはできない。

ところで、証拠(〈書証番号略〉―原告作成の書簡の写し)によれば、昭和六二年八月当時、原告には「裕」という名の恋人がいたかのように推測されないではない。しかし、原告本人によれば、右書簡は手紙として他に出したものではなく、心の内を書いた「空想」のようなものであると供述するところであり、また本件証拠上、原告が第三者にこれを差し出したものとの証明はなく、この書簡の写しが何故被告の手に入ったのかも釈然としないことを併せ考慮すれば(〈書証番号略〉によれば、これは原告の浮気相手というべき丙川の部下から小高がもらったものというが、弁論の全趣旨に照らして措信し難い。)、右原告の供述には疑念があるというべきであるが、この書簡の存在から直ちに被告主張の原告不貞の事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない。

4  本件全証拠によるも、慰謝料算定の基礎として他に取り立てて問題にすべき事情は認め難い。

5  以上の事実によれば、原、被告の婚姻関係の破綻の責任は原、被告双方にあり、その責任の程度に特に軽重はないといわざるを得ないから、その責任が一方のみにあることを前提とする原告及び被告の本訴・反訴各慰謝料請求は、いずれも理由がないというべきである。

三財産分与請求について

以下に引用する証拠(弁論の全趣旨を含む。)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、中卒後、昭和三九年に上京して東京○○機械株式会社(以下「○○機械」という)に勤めていたが、昭和四一年、被告との結婚直前に退職して家庭に入った。婚姻当時、原告にはこれといった資産はなかった。

原告は、子育てが一段落した昭和五六年四月、日本生命保険相互会社竹の塚支部に入社し、昭和六二年三月に退職するまでの七年間、前記のとおり猛烈に働き、最後の三年間の外交員報酬は以下のとおりであった。

(一) 昭和五九年度 八四一万四四七二円

(二) 昭和六〇年度 一二一二万一一九四円

(三) 昭和六一年度 七四七万三二七四円

そして、前記のとおり昭和六一年八月ころから、原告は本件建物の一階において原告店舗(約七坪の広さ)を開店した。現在、閉店してはいないが、原告店舗は休業のような状態にある。

(以上、〈書証番号略〉、原告本人)

2  被告は、大卒後の昭和三五年から○○機械に入社して販売営業の仕事に従事していたが、昭和五二年三月退職して、翌昭和五三年四月ころから、本件建物一階を事務所として甲野機械産業との名称で○○機械の販売代理店として独立し、昭和六三年八月、株式会社コウノを設立してその代表取締役となり、甲野機械産業の業務を引継ぎ現在に至っている。

(以上、〈書証番号略〉、被告本人)

3  原、被告は、婚姻後、別紙物件目録(一)記載の土地(当時、被告の実父甲野正人の兄甲野良夫所有、以下「本件土地」という)上の東京△△工業株式会社(当時の代表取締役は被告の実父、現在の代表取締役は被告の兄甲野健一である、昭和五六年一月、商号を株式会社コウノスイートパックと変更した、以下「訴外会社」という)所有の建物(昭和四二年二月新築、以下「旧建物」という)の一部を無償で間借りし、そこで新婚生活を開始した。

訴外会社は、昭和四三年一二月二五日、本件土地を買収し、昭和六一年二月、旧建物を取り壊した。被告は、昭和六二年四月ころ、本件土地を訴外会社から以下の条件で賃借した(この被告の賃借権を以下「本件借地権」という)。

(一) 賃貸借期間 昭和六二年四月一日から昭和九二年三月三一日までの三〇年間

(二) 賃料 一か月一六万円

(三) 権利金・保証金 授受なし

(四) 特約 賃借人(被告)は賃貸借期間が終了したときは無償で本件土地を明渡す

原、被告は、昭和六一年八月、本件土地上に総工費六八〇〇万円で本件建物を新築した。右費用のうち、五〇〇万円は原告が拠出し、四四〇〇万円は昭和六一年九月二日、足立信用金庫から以下の条件で借受け、現在、被告において毎月返済中である。なお、本件建物は、同年一〇月六日受付で、原告一〇分の一、被告一〇分の九の各持分割合で所有権保存登記がなされている。

(一) 債務者 被告

(二) 連帯保証人 原告

(三) 弁済期限 昭和七一年(平成八年)五月一〇日

(四) 利息 年6.40パーセント

(五) 元利金支払方法 昭和六一年一〇月から毎月一〇日限り支払

初回金 五七万五八六五円

その余 五〇万九六四〇円

本件建物の一階部分は株式会社コウノ及び訴外会社が事務所として、また前記のとおり原告が原告店舗として使用している(訴外会社は被告から右事務所を賃料一か月五万円で賃借している。原告は、無償である。)。

本件建物の平成三年度の固定資産税評価額が二二五五万一〇〇〇円であることを参酌すると、本件建物の本件口頭弁論終結当時(平成五年一月当時)の時価は、金五〇〇〇万円を下らない。

(以上、〈書証番号略〉、原、被告各本人、弁論の全趣旨)

右事実並びに弁論の全趣旨によれば、本件借地権は、実質的には被告の親族の情誼に基づき取得したものであって、原、被告が婚姻中に協力して取得した財産ということはできないから、右明渡し特約の存在如何にかかわらず、本件借地権を財産分与算定の基礎に入れることはできない。

なお、原告は、「本件土地は、実質的には被告の所有財産(相続財産)である」とも主張するが、そうであれば尚更被告の固有の財産であって原、被告が協力して取得した財産でないことは極めて自明であるから、本件借地権ないし本件土地を財産分与算定の基礎に入れることはできない。

そうすると、財産分与算定の基礎には本件建物価格である金五〇〇〇万円が入る。すなわち、本件建物は実質原、被告の共有財産というべきであるから、その一〇分の九は被告名義の財産として、その一〇分の一は原告名義の財産として財産分与の計算上算入されるものである(原告は、「被告名義財産のみ実質的な原、被告の共有財産であるかの如く考えているが、この点は大きな誤りである。)。――①

4  被告は、昭和四四年一一月二〇日、川口の土地を金一五三万円で買受けた。右代金は全額被告の給与から支払った。

川口の土地の近隣地(同市〈番地略〉)の平成四年三月当時の公示価格が一平方メートル当たり二五万九〇〇〇円であることを参酌すると、川口の土地の本件口頭弁論終結当時(平成五年一月当時)の時価は、金四二〇〇万円を下らない(一坪約八〇万円)。

(以上、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

そうすると、財産分与算定の基礎には右土地価格である金四二〇〇万円が入る。――②

5  被告は、昭和五二年一月一八日、越谷の土地を金一三八〇万円で買受けた。右代金は全額被告の給与から支払った。しかし、被告は、昭和六三年一〇月二四日、これを原告の了解を得ずに一七〇〇万円で売却し、前記の本件建物ローン弁済金等に充てて費消した。

(以上、〈書証番号略〉、被告本人、弁論の全趣旨)

そうすると、財産分与算定の基礎に右土地を入れることはできないが、右の事実も財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。

――☆1

6  被告は、現在、別紙物件目録(五)記載の(1)及び(2)のゴルフ会員権(以下「本件ゴルフ会員権」という)を保有しており、同(1)の時価は金五二〇万円、同(2)の時価は金二八〇万円である。なお、同目録(3)のゴルフ会員権は、被告が以前保有していたが、平成元年に金七〇〇万円で既に売却して、右代金を借入金の返済等に費消してしまっている。

(以上、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

したがって、本件ゴルフ会員権の時価合計金八〇〇万円が財産分与算定の基礎に入る。――③

7  原告は、別紙物件目録(六)記載の(1)ないし(4)のとおり被告から株式会社コウノに対し、合計金二三六二万八四三〇円の貸付債権があると主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

もっとも、証拠(〈書証番号略〉、被告本人、弁論の全趣旨)によれば、被告は、本件土地、本件建物及び川口の土地について足立信用金庫等の金融機関に対して合計極度額八五〇〇万円の根抵当権を設定していること、株式会社コウノは実質は被告の一人会社であること、以上の事実によれば、被告は株式会社コウノに対して相当の出資等をしていることが明らかである。このことは、財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。

――☆2

8  被告は、平成四年一一年二六日現在、足立信用金庫に本件建物の前記返済金債務二二一一万八九九二円、手形貸付債務二二〇〇万円の合計四四一一万八九九二円の借金があり、他の金融機関からの借金を含めると合計五六〇〇万円ある。

(以上、〈書証番号略〉、被告本人、弁論の全趣旨)

なお、被告は、「現在、被告個人として足立信用金庫外の金融機関に右返済金債務を含めて合計五六〇〇万の借金があり、この外に株式会社コウノとして二二〇〇万円の借金がある」とも供述するが、前記7で認定したとおり株式会社コウノの実質は被告の一人会社であり、被告は株式会社コウノに対して相当の出資等をし、本件土地、本件建物及び川口の土地について金融機関に対して相当多額の根抵当権を設定していること、及び被告の供述、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、右五六〇〇万円の中には株式会社コウノの債務二二〇〇万円が含まれていることが明らかであるから、これを被告個人の借金として財産分与算定の基礎に入れるのは相当でない(このことは、株式会社コウノの資産もしくは被告が保有すると考えられる同会社の株式価格を財産分与算定の基礎に入れないこととも均衡がとれ、公平であるというべきである。)。

したがって、右金五六〇〇万円から二二〇〇万円を差し引いた金三四〇〇万円が財産分与算定の基礎に入る。

――④

9  原告は、平成二年二月二八日、別紙物件目録(七)記載の二筆の土地(以下「茨城の土地」という)を金一三五〇万円で買受けた。右代金は全額原告の取得した報酬やこれを元手に始めた金の商品取引の利益等から支払った。

茨城の土地の本件口頭弁論終結当時(平成五年一月当時)の時価は、右取得額金一三五〇万円を下らない。

(以上、〈書証番号略〉、原告本人、弁論の全趣旨)

そうすると、財産分与算定の基礎には右土地価格である金一三五〇万円が入る。――⑤

なお、原告は保険外交員として前記のとおり猛烈に働き、年間一〇〇〇万円前後の高報酬を取得し、また、昭和六一年八月ころから、原告店舗を開店して相当の収益を上げたと推測されるが、茨城の土地以外にこれが現在どういう形でどの程度財産として残存しているか明確な証拠はなく、後記10で述べるとおりの事実からしても右原告の収益等を財産分与算定の基礎に直接入れることはできないといわざるを得ない。この点は、財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。――☆3

10  原告は、保険外交員を辞めた後、退職金や自ら積み立てた一時払い養老保険で得た金員等を元手にして株取引を始め、このもうけで取得した株式を担保にして金の商品取引も始めたが、結局失敗して平成四年八月末時点で計算上三五〇万円余の損失を被り、この補填や一部生活費に使用するために、平成二年六月ころ、原告の姉から九八〇万円を借受けた(原告は、平成元年九月ころにも右の姉から合計三〇〇万円を借受けた旨供述するが、その後に借受けた九八〇万円については借用書を作成したのに、右三〇〇万円については何故借用書を作成しなかったのか合理的な理由は見出し難いので、右三〇〇万円については既に支払済みと認定するのが相当である。)。したがって、原告は、現在、約金一四〇〇万円の借金を負担していることになる(日本生命との養老保険契約の積立金が引当になっている同生命からの借受金を除く。)。

(以上、〈書証番号略〉、原告本人、弁論の全趣旨)

右の原告の借金は、結局、原告の個人的な投資の失敗に基づくものが大半であるから、財産分与算定の消極的要素としてこれを全額基礎にすることは相当ではないから、右の約三分の一に相当する金五〇〇万円を財産分与算定の基礎に入れることとする。――⑥

また、右認定の各事実も財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。――☆4

11  原、被告間の婚姻費用については、婚姻以来、原則として被告が負担し、原告は特段の負担をしておらず、被告は、昭和六三年三月ころまでは一か月金二五万円を原告に渡し、同年四月以降は長女や二女が経済的に独立したことを理由として一か月金一〇万円を原告に渡していた(平成三年五月以降は、原、被告間に成立した家事調停により婚姻費用分担金として被告は、原告に対し、一か月一〇万円を支払っている。)。右金員のほかに公租公課、水道光熱費、電話料金等はすべて被告の預金から直接支払われていた。

(以上、〈書証番号略〉、原、被告各本人、弁論の全趣旨)

したがって、右の事実も財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。――☆5

12  原告は、現在被告からの一か月一〇万円の金員と長女及び二女からの援助で原告及び子供三人の生活費を賄っており、前記のとおり、原告店舗は開店休業状態にあり、また、相当な身元保証人がいないこと等で就職することもままならない状況にある。

(以上、〈書証番号略〉、原告本人、弁論の全趣旨)

したがって、原告は、離婚後の生活に不安があることが否めない。右の事実も財産分与算定の「一切の事情」の一事由として斟酌することとする。

――☆6

13  なお、被告は、「昭和五六年四月に原告が日本生命に入社するに際し原、被告間に今後それぞれの収入は各人の資産とする合意が成立した」旨主張し、被告は、その本人尋問において、右主張に副うかの如き供述をし、〈書証番号略〉(被告の陳述書)にも同様の供述記載があるけれども、これを裏付ける客観的証拠はなく、右被告の供述等に反する原告本人尋問の結果に照らしても、右被告の供述等を直ちに採用することはできず、他に右合意を認めるに足りる証拠はない。

14 以上認定説示したところを総合し、本件に顕れた一切の事情を検討して判断すると、右の財産形成についての原、被告の貢献度・寄与度は同程度と認められるから、結局、離婚に伴う財産分与として、被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円を給付するのが相当である(原告は、前記の3及び9の原告名義の財産を併せると約四三五〇万円の財産分与を受けたことと同様の経済的利益を得たことになる。)。

〔計算式〕 (単位、円)

被告名義の資産(①のうち4500万円+②+③−④)=6100万(A)

原告名義の資産(①のうち500万円+⑤−⑥)=1350万(B)

原告の財産分与額=(A+B)÷2−B±(☆1〜6と本件に顕れた一切の事情)≒3000万

第五結論

以上の次第で、原告及び被告の各離婚請求は、いずれも理由があり、原告及び被告の各慰謝料請求はいずれも理由がなく、原告の財産分与申立については被告から原告に金三〇〇〇万円を給付することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官片野悟好)

別紙物件目録〈省略〉

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